配慮と遠慮

配慮と遠慮は違うんです

昨冬、とある研修で若い方に語ったら、担当者にヒットして、「夏も話してください!」と仰っていただきまして、言うタイミング来るのか?とヒヤヒヤしつつも、やや強引に語ってきた昨日。

なぜそんな話になるかと言うと、

グループで課題に取り組むとき「遠慮」する人が多いから。あと、言いたいことだけ言って「配慮」のない人もいるから。

遠慮は、自分を抑えて、言いたいことを言わなかったり、自分が一歩引くこと。

配慮は、心を配ることであり、注意を払いながら行動・発言すること。

遠慮してると、物事が前に進みにくい。組織だったら仕事で良い成果が出にくい。これを配慮とはき違えてやる人がいるから困る。言いたいこと、必要なことは、配慮をしながら言ってほしい。自信がないなら、その気持ちも含めて言ってほしい。みんなは仲間であり、敵じゃないのだから。(組織が健全安全なら出来ないことではないはず)

でも、配慮というのは難しい。

相手を傷つけてしまう、嫌な思いをさせてしまう可能性を念頭におきながら、話すことだから。

危険とわかって踏み込むのだから、相手をケアしたり、フォローしたりの言葉が必要で、これが配慮というものだろう。

車の運転に例えれば、制限速度を越えて運転するとき、多少危険を承知で注意しながら進むのと同じだ思う。

対人でも、注意して進まない人がいるから困る。

要するに「無神経」というやつ。ぶつかってからもリカバリーせずに走行。路肩で縁石にぶつかりながら走行してんのに、「大した傷じゃないっす」みたいなね。そういう人は、他人を不愉快にさせてるのに自分だけが地雷を踏んだみたいな顔してるから怖い。

お願いだから、発言の前に考えるか、発言してからすぐにフォローするかしてちょーだい。

それが配慮というものだから。

バランス感覚の重要性

危険承知でも配慮しながら踏み込むのは、お互いを理解しあうため。

バランスを持って対人関係にのぞみ、信頼関係を築き、必要なことを必要なときに言える・聞けるという関係をつくることで、良い成果を出そう、気持ちよく仕事しよう。そういうものだろう。

遠慮していては、信頼関係は深まらず、

無神経では、信用が揺らぎ、

バランスですよ、バランス。

危ないなと思ったら、アクセルから足を離して、「ちょっと危なかったかな。ごめん」って同乗者に言ってあげて。

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