札幌で地震に遭遇して
自宅に帰宅してみると、喉元過ぎればなんとやらで、記憶が薄れてしまいそうなので、ここに振り返りを書きたいと思います。ここで伝えたいのは「体験しないとわからない気持ちの変化」です。
■そもそもの今回の出張&旅行の予定
札幌で研修の仕事:3日(月)~5日(水)
旭川で研修の仕事:6日(木)
旭山動物園:7日(金)
旭岳温泉 :8日(土)
せっかくなので、5日の夕方から母を札幌に呼んで、ここから翌日旭川へ行って8日の土曜に旭川空港から帰るつもりでした。
※ちなみに母は5日の台風にも遭い、新千歳から札幌入りするのに、4時間くらいかかり、えらい苦労をしていました。
■地震発生時の状況~ことの顛末
-地震発生時
母を呼んでいたこともあり、水曜からはJRタワーホテル日航札幌という高級ホテルを奮発して用意していました。さすが高級ホテルだけあり、前日までとは寝心地が違い、珍しく夜中も眠りが深かったです。そんなときに3時8分の大地震。私は高層階にいたので、縦揺れはよくわかりませんでしたが、横揺れがグラングランしていました。私と母のスマホからけたたましく流れる緊急地震速報に加え、館内放送でも「キュインキュイン、地震です。地震です」と言っているが、もう何をしたらいいかわからない。私が今まで経験したこともない強い揺れが来ていることだけはすぐにわかり、ベッドから飛び起きたものの、寝ぼけている&強い揺れ&不安で、ほぼ千鳥足。もう何していいかわからずに、ボヤーーンとしてるとこに「いいから着替えるのーーー!!」との母の叫びで、やっと我に返って着替え始めました。着替え終わってテレビをつけ、北海道で地震があったことを知らせるNHKの放送。”札幌でこの揺れなら、どこかがマズイことになっているかもしれない”と思って不安でした。。。余談ですが、地震の揺れがおさまったとたんに母は「あぁ、なんか寝汗もかいちゃったし、風呂でも入ろう」とか言い出すので、さすがに「いやいやいやいや、余震くるかもしれないでしょ!!やめてよ!!」と言いました。こういうときに二人いると色々連携できることを確認できた。笑
テレビを見て状況を拾っていると突然の停電。ホテルの部屋の非常灯だけが点灯し、部屋から見える札幌大通り公園方面の灯りが、みるみる消えるとともに、市役所や大きい企業の新しいビルは、非常用電源で全館灯っていくのが見えました。その瞬間に、怖くなってきました。①テレビが見られず状況がわからない、②情報を取るためにスマホをいじると電池がなくなる(ラジオもラジコしかないし)、③いつまで停電が続くかわからないのでスマホの電池を迂闊に減らせない、④32階にいるので、うっかり下に降りられない(降りたら戻るのがキツイし)。。。先が見えないので、かなり不安が襲ってきました。
地震1時間後くらいに、自衛隊に勤務する某氏の息子さんから、「ご飯と水は夜の分まで確保してください。荷物は小さいバッグに入れて破棄してもいいものは大きいカバンにわけておくといいですよ」とメッセージをもらい、茫然自失状態を我に返らせてもらいました。気持ちの備えがないので、パニックになると冷静な判断ができません。加えて、高層階にいると降りることがリスクすぎて勇気が沸かない・・・それは以下の理由から
・1人ならまだしも、母を部屋に置いて外に出て、私が戻れなくなったらどうしよう
・これから大変な状況が続きそうなのに、32階と1階の往復で体力をすり減らすのはリスク
そんな中でも、一応今日は仕事なんだよな。。。という思いが頭をよぎり、仕事がどうなるかと不安な気持ちもありました。
とはいえ、どう考えても今日は研修を開催できるわけがないので、5時前に研修依頼先の方々にはメールをし、札幌がとんでもない状況になっていることを知らせ、どのみち研修は中止であろうと判断し、あとは今後親子がどう動くかだけの判断に集中することにしました。
―いざコンビニ、そして朝食
食料と水はたしかに確保した方が良さそうと5時過ぎに勇気を振り絞って、部屋の外へ。非常階段の1つは真っ暗。。。いやいやいやコレは絶対無理というレベル。もう1つを探し、スタッフ用の扉をあけてみると非常灯が灯っているだけでなく、一基のスタッフ用エレベーターが動いているではありませんか!コレはと押して乗車すると、スタッフが二人。聞いてみると、このエレベーターだけは非常用電源で動いていますと。無事コンビニにへ行きましたが、信号が灯っていない街並みは非常時を感じさせるのに十分な恐怖でした。おにぎりなどご飯ものは入荷がまだのようでなかったし、停電していてお湯も沸かせないのでカップラーメンなどはあきらめました。さすがの私もアルコールを確保しようという発想にはなりませんでしたので、私はお茶とお菓子とパンを買いました。朝の5時とは思えないコンビニの人混み。みなさん食料と水の他に電池を求めているようでした。不思議なもので、ホテルの部屋で母と二人は不安でしたが、人を見たり話したりすると安心するものだなと思いました。
ー呑気な親子の階段登り
無事部屋に戻り、どうせやることもないので、朝食会場を見に行ってみようと6時半頃にレストランへ向かいました。ちょうど電気も部屋まで復旧し、少しホっとしていたところでした(後々わかるのですが、これも非常用電源で復旧していたようで、札幌市内はこのときも停電中だったようです)温かいご飯やスープは当然ありませんが、高級ホテルらしく非常時とは思えないレベルのものが並んでおりました。ありがたかったです。
部屋に戻って、電気は数時間ついているし、やることもないので散歩に出ました。北海道大学を散歩し、札幌駅で旭川行のチケットを払い戻しし、それでもまだ、明日は旭川行けるかな。電車動けば行けるのかななんて午前中は考えていました。おそらく札幌駅前は非常用電源を持っているビルが多く、信号以外は電気が戻っていたので、精神的に安心感があったのかもしれません。
とはいえ、こんなときに散歩でいける範囲も限られており、10時くらいにはホテルに戻りました。延泊依頼はしていたものの確定はしていなかったのですが、どうにかなりそうと言われていたのでのんびりしていました。ところが、ホテルに戻ると「もうすぐ非常用電源も使えなくなり、真っ暗になります。もう非常用のエレベーターも動かせません」と言われ、真っ青になりました。こんなときの母の判断はすごい「ロビーにいるより、部屋で停電した方が楽よ。階段で32階まで登るしかないわよ!」、、、えーーーー!ってなわけで、ここからが大変。でも、私たちより大変なのはスタッフの人たち。チェックアウトする方々の荷物を階段で運んであげたり、ロビーに椅子を置くために上層階から椅子を下ろすために、女性も男性もえっちらおっちら、本当に大変そうでした。私たちもスタッフもお互い励ましあいながら、母は途中でウチワをもらったり、ロビーで頂いた水を飲みながら登りました。75歳の母にはかなりキツそうでしたが、私はあと2往復くらいならいけそうな感じがあったので、まだ体力的には問題ないなとのジャッジができました。
―悲壮感あふれるアナウンス
部屋に戻り、電源がアウトになるならとお風呂の水を溜め、ついでに階段での汗も流し、ジっと耐える時間を過ごす覚悟を決め始めました。
で、そういえば延泊できるか聞いてなかった!と思ってフロントに電話すると「部屋にいてください。内線ももう、、、使えなくなるんです」・・・その後すぐに館内放送で「もうすぐ非常用電源が切れます。もう内線も使えなくなります」と悲壮感あふれる声でアナウンス。。。しばらくすると、完全に停電しました。とうとう水も出なくなりました。これが13時から14時くらいの出来事。
旭川での宿をキャンセルしていると、すぐに予約していた旭川の居酒屋から電話。「今日はもう旭川は停電して営業できない」と、人のいいオジサンで、状況を色々語ってくれた。「お互い頑張りましょう。どうかご無事で」と励まし合って電話を切りました。
―ホテルのスタッフのやさしさ
外のことはよくわからないが、新千歳空港だけはアウトという情報は入っていたので、最悪8日に旭川に入れればどうにか・・・と甘い考えをしていました。札幌から旭川はバスで2時間(JRはあまり期待していませんでした)、どうにか復帰するまでこのホテルにいれればねと。。。とはいえ、停電で情報が薄いこともあってか、今後のことに頭が回っていませんでした。夜までに電気が復活してくれればととにかく祈るような思いでした。その間にも、ホテルのスタッフは各部屋を回り、パンを少しずつ配り、欲しいものがあれば申し出てとまわってくれました。部屋の空気もこもりがちなので、外気取り入れの通気口をあけてくれたりと、本当に親切でした。みなさん階段で回っているので、汗だくです。「本当にみなさんも大変なのに・・・」と言うのに、「満足いくサービスが出来ずに申し訳ありません」との言葉ばかりで、本当に申し訳なく思いはじめてきました。
―電気復旧とともに、事態を冷静につかむ余裕が生まれる
16時過ぎに電気がつくとともに、希望が生まれたのか、明日からどうする!?という策を考える余裕が生まれてきました。そもそも”バス動くだろー”っていう気持ちがあったので、そこまでの必死感はなかったのです。
6日の夕飯は、コンビニで確保したパンとお菓子で諦めようと思っていたのですが、電気も復旧したし、やはり温かいスープとかあるといいなぁなんて思い始めました。地上に降りてロビーの人のリアルな話も聞いてみようとの思いで、下に降りてみました。コンビニは朝開いていたところは、もう閉店。開店しているところは10人ずつの入店とかで、長蛇の列。こりゃ諦めて戻ろうと軽い散歩でホテルに戻る。状況を聞くと「バスは信号が復旧しないと運行許可出ないので、当分難しいかも。タクシーも相当混んでいるし、ガソリン入れられなければどうにもならなくなる」と、バスが動かない理由がわかった時点で、真面目に帰宅を検討しないといけないっぽいと気付き始めました。
また、自分たちが北海道にいることのリスクも感じはじめていました。道民は自分たちの生活を守らなければならない、これから長い視点で生活を考えていかなければいけないのに、私たちが滞在していることで、その命を守ること、大切な水や食料も必要になる。ともかく自分たちの存在はリスクだ。と。ここにいて出来ることは、道民に迷惑をかけ続けること。一刻も早く道外に出ようと気付いてからは、各所連絡と航空券の確保に必死でした。
―道外に出るための策
6日の17時からは、パソコンとスマホの2台で、航空券のキャンセル待ち予約を繰り返しながら、Twitter見たり、各所連絡の時間が始まりました。完全に殺気だってました。笑
有識者のアドバイスにより、丘珠(おかだま)空港から函館に行き、函館から羽田へ出るのがベター、函館なら最悪フェリー、新幹線も出るかもしれないとの言われ、たしかにこの案は妥当と判断ができました。なんせ丘珠は札幌から近い。加えて自衛隊もいて電源確保ができそうだ。
新千歳案もありましたが、滑走路はOKなのはわかるが、ターミナルがアウトで発券業務が難しいとなると乗客を入れられないので、リスキーかもしれないと言われました。また、予約チケットを持たずして、空港に行くのはリスキー。なんかしら確保できてから行った方がいいと言われ、やはり丘珠函館案を採用です。
そこからは、怒涛の予約ページ地獄。何かのゲームかって感じで、見えない敵と数少ない座席の奪い合い。空いてると思って予約ボタンを押すとアウト、すぐに何時間もキャンセル待ち状態になり、そしてまた時間を置いてみると2席空いたりする。。。キャンセル待ち予約もするが、取り置き期限がすぐにやってきて、全部アウト。。。幸い、7日の丘珠から函館のJAL便は比較的早く予約ができたのと、8日夜の新千歳から羽田も予約ができた。これで、函館から先が取れない場合は、土曜まで待って新千歳復旧を祈るという状態になりました。とはいえ、函館から先の空路は絶望的でした。全然座席が空きません。。。新幹線は走っていないと言っていたが、明日午後には復旧したいとの情報もあり、JR東日本の言うことは比較的信用に値するような気がしており(正直、JR北海道の情報はあてになりませんでした。北海道は広いのでリスクも多く、色んな確約が難しいのでしょう)、これに賭けることにしました。えきねっとで新幹線の座席を確保し、まあなんとか、帰れそう確率70%確度くらいまではあがってきた感じでした。というのも、函館空港から新幹線の駅までは40km近くもあり、ここでの足がないとかなり厳しかったのが残り30%のリスクと感じていました。
結論からいうと、ミラクルが起きて、函館から羽田のフライトが確保できて、無事帰京にいたったわけですが、ここまでの道のりは精神的にきつかったです。ずっと気を張っている状態ですからね。。。
ちなみに、私のメールボックスはJALの予約とキャンセル待ちと取り消しのメールで50件にもなってしまった。すごいっ。。
■たくさんのみなさんに感謝
こんな状況でしたが、私はかなり恵まれた環境におりました。ホテルのスタッフ、情報をくれる仲間たち、的確なアドバイス、見守り。本当に恵まれていました。感謝してもしきれないほどです。
今後北海道に恩返しをするのももちろんですが、今回助けてくださった皆様にも恩返しをしていきたいと思います。
■気づき
<情報に関すること>
情報はデマもありました。鵜呑みにしない方がいいが、それを怖がってばかりいると動けなくなる可能性があります。たくさんの情報は持っておいた上で、他者にも確認し信ぴょう性を確保した上で判断するべき。そのためにも、自分からの情報発信も大事。発信していると、情報をもらいやすい。
人の価値観はそれぞれですから、アドバイスも十人十色です。優先順位の付け方もそれぞれです。アドバイスする方も受ける方も謙虚でないと難しい。私はまだ余裕がありましたが、トンチンカンなアドバイスには多少イラっとしました。特に北海道の地理をわからずに適当なことを言うのはやめてほしいです。北海道は広いです。今一度地図を良く見て距離を測って考えてください。最低限の常識です。停電していたらなおさらです。電池をすり減らされるのは勘弁です。
もちろん、励ましの言葉や心配はありがたかったですが、そう思えるのも私の被災状況が大したことなく心に余裕があったからです。本当に大変な思いをしている方でしたら、迷惑なのではと思います。この点は注意が必要と思いました。
<気持ちの動きについて>
大前提として当たり前だが・・・先の見えない不安は恐怖
遠方外出中に、家に帰る手段を失うのは恐怖・・・特に中途半端に失うと諦めがつかず右往左往
食事に関していうと、確保できていると安心。さらに言うと、温かいものを食べると気持ちが落ち着く
情報があると安心する。人と話すと安心する(自分だけ孤立しているのではと不安になることを解消することは大事・・・だから、何よりも電気の大切さを改めて痛感)
以上、札幌で地震に遭ったときのお話しを書いてみました。
私は恵まれた環境でしたので、地震に遭ったからと偉そうなことを言うなとお思いの方もいらっしゃるかもしれません。敢えて書こうと思ったのは、このような事態になったときの人間の気持ちの動き、対処の仕方などが自分自身勉強になったからです。
今回の大地震の一刻も早い復旧、心よりお祈り申し上げます。私にできることを、考えたいと思います。