阿吽の呼吸マネジメントの限界
阿吽の呼吸に頼りすぎ
阿吽の呼吸とは、
二人以上の人物が、相互の気持ちや行動が一致すること、またその間合いを巧みにつかむこと
だそうで、長く共にする仲間の中で発揮されるものであり、プラスの意味で使われることが多い。
もちろん会社の中にも「いい意味での阿吽の呼吸」は働くが、色んな組織を見てて問題に感じるのは、
みんな、阿吽の呼吸に頼りすぎじゃないか?
人はそれぞれ、価値観や考え方が異なって当たり前なのに、同じ会社にいると同質化していると勘違いしたり、めんどくささから易きに流れて説明を省いたりすることが多い。
仕事を振るとき、評価を伝えるとき…ホントはやりたくない仕事振られたとき、上司と意見が違うとき…
ちゃんと話し合いが出来ているだろうか。
適切に話し合いが行われないと、不満と不安が生まれるし、ストレスの高い状態では思いきって仕事なんて出来ない。(スポーツ選手がプレッシャーに潰されて試合で負けるのも同じこと)
昔は、「背中を見て学べ」というスタイルで良かったのかもしれないが、さすがにそんな昭和な指導は通用するわけもない。
それでもそのコミュニケーションから脱却出来ないでいると、結果、上司のせいにしたり、部下のせいにしたり、組織のせいにしたり、制度のせいにしたり…
その発想そのものが問題だと、ハっと気付いた組織は強い。コミュニケーションのあり方見直しをして、グッと成長する。(ハっとしてグッ…と、言いたかっただけではない)
テクニック論でいえば、
上司にはコーチングの考え方、部下にはアサーションの考え方を学んでもらうのがとてもよい。
加えて、上司と部下(社長とスタッフ)の 1 on 1 のミーティングなんかも効果は高い。下の人は想像以上に上の人との対話を希望している。(承認欲求は誰にでもあるからだ)
話すこと、書くこと
コミュニケーションは、話すことに注目されがちだが、書くことも(文章化)も意外と重要だったりする。
書くことは、頭の中が整理されるし、抽象的な言葉では相手に伝わらないので、具体化しようとする気持ちの芽生えにつながる。他にも、振り返りに繋がる、履歴に残るなどメリットはたくさん。。。
新人のときに、日報を書かされたのは、そーゆーことかと気付くよね。今日できたこと、できなかったことを振り返り、明日やることを整理する。。。
目標だって、いざ書いてみると、抽象的なことに気付かされる。
「売上◯◯円達成」…え?どうやって?とか
「作業を効率化する」…なんの?どれだけ?とか
しっかり向き合って、これからやるべきことを考えた方が目標達成しやすいし、成長しやすいよね。
ワタシがフルマラソン走ったときの目標は「完走」。諸事情あって半端ないプレッシャーだったため、達成手段は慎重に考えた。
半年前から月間何キロ走るかを大まかに決め、予定とにらめっこしながらその日何キロずつ走るか、細かく決めて書いていった。仕事があるので予定は変わることもあるが、ほぼ予定キロ数を達成できるように調整した。もちろん達成できず凹む月もあったりしたが、概ねをキープすることで、自信に繋げていった。
マイルストーンをしっかり考えないと、本番のことが不安になって、目の前の作業を積み重ねることが疎かになってしまう。これでは本末転倒だから、手段もちゃんと考えよう。ということだ。
一人一人が成長できる組織になるために、
阿吽の呼吸でのマネジメントではなく、
お互いが理解できる表現で対話する
それにより価値観の違いを知り、コミュニケーションを工夫しあうことで、爽やかな職場になる
言葉だけでなく、書くことで記録に残し、成果創出度を上げる
これが必要なんじゃないだろうか。
難しく考えず、阿吽の呼吸より急がば回れだよってもらえると嬉しいです!